織田信長といえば戦国時代を代表する人物です。その信長にはたくさんの子どもがいました。戦国大名にとって跡継ぎを残すことも仕事の一つだったのです。
信長には男子だけで子供がなんと12人もいたそうです。 当時の武士の子どもには幼名といって、子どもの時だけ付けられる名前がありました。ちなみに信長の幼名は吉法師といいます。 |
その信長なのですが、15人もの男子の幼名をつけるのが面倒くさくなったのか、それとも別の意味があったのか、かなり奇抜な幼名を自分の子どもにつけているのです。
まず長男の信忠にですが、奇妙丸という幼名を付けています。長男ですらこの奇抜さです。 それから信長の子どもたちは順番に、三介・三七・於次・坊丸・大洞・小洞・長丸と幼名を付けられていきます。 |
そして信長の奇抜なネーミングセンスが炸裂したのが九男の幼名です。その名も「人」です。そのまんまやないかい!と言いたくなりますが、歴史上の事実なのです。
人の後は、良好・縁・於勝丸で終わるのですが、やはり人という幼名は、信長のセンスの凄さを感じさせますね。 |