ジョン万次郎という人物をご存知でしょうか? ジョン万次郎は文政10年1月1日(1827年1月27日)から明治31年(1898 ジョン万次郎は通訳や教師などとしても活躍した人物だったのですが、彼がどうやって英語を覚えたのか?ここではジョン万次郎の面白いエピソードを紹介します。 |
江戸時代の日本は鎖国政策を行っていましたが、漁師などは嵐にあって外国船に助けられるという事件が起こっていました。実は土佐(現在の高知県)の漁師だった万次郎もそんな一人でした。 ある日仲間4人で漁に出たところ嵐にあって遭難してしまって小笠原諸島のとある孤島(鳥島)に漂着しました。その孤島でサバイバルな生活を数か月間過ごしアメリカの捕鯨船がジョン万次郎達のいる孤島に給水に立ち寄った際に運よく助けられたのです。 ジョン万次郎は日本が鎖国中だったため日本へは戻れずにしばらくアメリカのハワイで捕鯨を手伝いながら数年間暮らしたそうです。後にジョン万次郎以外の3人はハワイに残り万次郎のみアメリカに渡りました。アメリカではなんと捕鯨船の船長の養子として暮らしていました。 ジョン万次郎は、アメリカではジョン・マンと呼ばれていました。万次郎は今でいう小学校に通って英語を学び国際感覚を身につけていったのです。 その後ジョン万次郎は土佐に帰り士分となり土佐藩の「教授館」という藩学校の教師をしていました。ところがある時、ペリーの来航により幕府が開国を迫られるようになると英語が話せる万次郎に幕府から白羽の矢がたったのです。 アメリカの事を熟知していて英語が堪能な万次郎は幕府内でも重宝がられ農民から武士に一気に階級があがりました。結局幕府は倒され開国したわけですが開国後も政府の役人として携わり日本の開国に大きく貢献したのです。 実はこのジョン万次郎ですが、あの坂本竜馬も影響を受けたと言われています。 |