真田信之という戦国武将をご存知でしょうか? 真田幸村は現在でもとても人気のある戦国武将でみなさんもご存知だと思いますが、あまり知られていませんが幸村の兄に当るのが真田信之。 信之も幸村に劣らぬ抜群の政治センスを持った戦国の名将でした。今日は真田信之に関するエピソードをお話しします。 |
真田家は武田氏滅亡後に独立した地方の小大名に過ぎません。しかし信之の父である真田幸隆は武田24将の1人で真田の名は広く知られていました。さらに子である真田昌幸は、寡兵をもって上杉や徳川の大軍を退け、真田は一目置かれていました。 当時は豊臣、徳川の勢力争いが行われていました。両氏は真田の取り込みにかかります。真田信之には、家康の養女が嫁ぎ、弟の幸村には豊臣の重臣、大谷吉継の娘が妻として送り込まれました。 このことが関ヶ原時の真田家分割を生じさせます。信之は徳川、幸村と父昌幸は豊臣に付きました。 昌幸、幸村親子は、散々徳川家にたて突きました。信之のお陰で真田家は存続しましたが、いつ潰されてもおかしくない状況でした。信之は義父である本多忠勝の助力も得ながら、抜群の政治センスを用いて難局を乗り切りました。 ちなみに信之の元々の字は「信幸」でした。徳川家への忠誠を示すため、真田の通字である「幸」を変えたと伝えられています。 93歳と長命でもあり、「信濃の獅子」と異名を奉られています。 |