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鈴木貫太郎

日本の一番長い日を捌いた総理大臣




昭和20年8月15日。

日本がポツダム宣言を受託して太平洋戦争が終結した日です。この日は「日本の一番長い日」と称されたりしています。

この前後は、日本という国が存続できるかどうかの、有史以来最大の国難でもありました。それを見事に捌ききったのが当時の総理大臣だった鈴木貫太郎氏です。







鈴木貫太郎は海軍の軍人で日露戦争時には駆逐隊司令として活躍した人物です。日露戦争後は侍従長として昭和天皇近くに仕えたことでも有名です。軍事クーデターである2.26事件では被弾しましたが、夫人の機転のお陰で一命を取り留めました。


終戦前になると敗戦に継ぐ敗戦により、内閣が次々と変わっていました。とうとう総理大臣の適任者がいなくなってしまいました。その結果、鈴木貫太郎氏に白羽の矢が立ちました。昭和天皇からの個人的な信頼も大きく影響したとも言われています。


当時の鈴木貫太郎はすでに77歳。幾度となく固辞しますが、昭和天皇に「頼むからやってくれ」と言われ、総理に就任します。


当時、敗戦は誰の目にも明らかな状況だったにも関わらず、陸軍内の主戦論は根強かったため迂闊に終戦に持っていこうとすると、クーデターの危険が非常に高い状況でした。


そういった状況の中、鈴木貫太郎氏は戦争継続を示す風を装いながら、終戦へのシナリオを進めていきます。そして、昭和天皇との連携により、陸軍の暴発を防ぎつつ見事に終戦を成し遂げたのです。


鈴木貫太郎氏が総理大臣に任命されなければ、現在の日本はなかったかもしれませんね。



     



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